人さらい

鏡を覗くと知らない人が映っている 引きつった頬はまるで人さらいのようだ 人さらいの口から人さらいの牙がにゅうっと伸びてきて 葡萄の彫りのある鏡を突き破りそうになる あわてて毛布をかぶせて 奥の倉庫にしまっておくことにする 人さらいはこわい 人さら…

部品

部品がいっぽん足りなくなって このままじゃあ埒が明かないから 町まで買いに行かせてくださいと頼んだのに ひょいひょいとあばら骨を抜かれて 蛸みたいに伸びている

枕の下に包丁を入れて眠るとよい もしも悪夢を見たのなら その時はすかりすかりと捌いてしまって うすい刺し身のようにするとよい 油まみれの水たまりのように光るそれを やってきた男は食べるだろう 用意されたものは残さず食べるというのが 昔からの獏の流…

桃太郎

おれは桃太郎だ、桃太郎なんだと鬼が言うので あんたは桃太郎だよ どこから見てもそうだよと頷いてやる 鬼は心底ほっとした顔で でも空っぽになったような目をして 暗い森の中に帰っていく わたしはそれを止められなかった

ストーブ

犬や猫や蛇が増えてきて だんだん部屋が狭くなってきた 布団を敷くにも食事を用意するにも いちいちまとわりついてくるので うっとうしくてしかたないのだが あとでどうにかしようと思っているうちに いつも日が暮れてしまう そうしてもう何年にもなる 今日…

鬼あざみ

夜中に地震で目が覚めて 地震が起きるたびに いろんな神社の鳥居から 小石がぱらぱら落ちているのだろうな と窓を開け閉めして もう一度、すとんと夢の中に入る 夢の中では栗の木林にいて 毬栗がぽろぽろ落ちるのを見ている 見ていたらなんだか悲しくなって …

りんご

店先でいきなりりんご齧ってやろうか 店番は慌てるだろうな 噛んだら血を吹きそうな赤いりんご いきなり齧って お金も払わずに逃げてやろうか みんな唖然とするだろうな 舟に乗って逃げてやろうか 犬も殺してやろうか 花も

紫色の紙

紫色の紙が足りなくなってしまった 急いで買いに行かないと、もうすぐなのだからと 気ばかりがいたずらに焦って どうしたらいいかわからない 今までどこで買っていたかなんて覚えてないし 手配してくれる人にも覚えがない いつもいつもこうやって 足りなくな…

かなしい唄

化粧箱や封筒の 中には宝石があるものだと 女の子はそれくらい知っている 馬の形をした雲を追いかけて 知らない道を行くと その細道の先には橋が続いて 途中、別れの言葉を思い出して しゃくりあげて泣いてしまうことも 吹く風が頬に触れて あかるい午後が夜…

道しるべ

ふと箸を落としてしまい 屈みこむと、床に米粒が続いていて 点々と拾いながら進んでいく 客間へ、座敷へ、縁側へ いつしか古い蔵の脇を通り 門から出て、人通りの少ない裏道のほうへ 白く輝く米粒を追いかけ 一心不乱に進んでいく 空には月も星もなくて 笑い…

かぶと虫になる

かぶと虫になったわたしが 瓷に頭をつっこんで蜜を吸っている 西日も射さない土間の隅で 瓷の縁に手をついて蜜を吸っている 本当はこんなこと許されていなくて 惨めでたまらないのだけど もうかぶと虫になってしまったのだから ほかに手立てはないのだ 誰か…

暗峠

奥は暗くておそろしければ… 和泉式部 ふいに戸を閉められて 暗い場所に置き去りにされてみれば 息をするのもままならぬほどで 手探りで進む手に 布がひらひらとまといつく 天井に着物でも吊るされているのか 探っても探っても壁はなく 道行きの果ては底知れ…

人形劇

空の彼方に 雲がすばやく流れている時は 家のほうが動いているような気がする そう考えると足元がぐらついて ああでもないこうでもないと 心臓に暗い汁が溜まってきて 余計なことを考えないように 細い道の先だけ見ていればいいのに 水際に打ち捨てられた軽…

錯視

晩遅く帰った宅の 戸をからからと引いて 玄関先に靴が揃えられている その脇をすっと通る 長い廊下にはぼんやりと俯き加減の 男や女が行き交っていて もうさすがに惑わされることはないが とうに慣れた今でも なんとはなしに気にかかる あるいは 些細なこと…

夜中の生き物

ひじきを煮付けていて 鍋の中はまっくらやみの夜 手を差し入れればぐいとつかむものがあり イヤダイヤダと言っているうちに 連れて行かれた海の底で おまえはうみうしになる 立派なうみうしになれてよかったと 家族は喜んでいるけれど わたしはごまかされな…

盆踊り

原っぱに出かけよう そこには盆の間にだけ 夏の組合の人たちが見え隠れし 錆びついた刃物や 色とりどりの皿を持ち寄って 陽気な盆踊りを踊っている 陽気な音楽に誘われて 物を知らない子供が迷い込み 消えてしまうなんてこともあるけれど そんなことは別にい…

洪水の夜

まだ夕方だというのに眠くて すこし横になっておこうかと考えているうちに いつのまにか眠りがやってくる 目を覚ますととうに外は暗い 諦めてこのまま寝直してしまおう と、その前に水を一口 手を伸ばした枕元の感触がおかしくて 月明かりを頼りに見てみれば…

別府湾

小学校の桜にいつか辿り着く 吉田右門 学校前の坂を上っていくと コンクリートで固められた左手の斜面に ぴたりとはめ込まれた形の地蔵がいて 土の猛威を抑えているのか 背中を見送られる心持ちで ずいぶんとほっとした 昼の空は硬質の雲を隠し持ち いつでも…

居眠り

棚の上には 黒いローマの熊が立ち上がる 人形の髪は長く伸びる わたしは眠いのを我慢して こっくりと頭を傾ける度に その度に舌を噛み切ってしまわないか 冷静に算段する

命日

枕が熱くて眠れない という風に文字が頭に入らなくて 本をあれこれとっかえひっかえしている 花瓶に挿しっぱなしの花は枯れ 早く替えないといけないなと思う 窓の外は静かな真夏日 届くはずの郵便は届かず 池の鯉は泳ぎ疲れて わたしも眠りの中に入っていき…

なまこ料理

どこまで行っても焼けた道が続くものだから どうにもやりきれなくなって 木陰で休んでいる行商に暑いですね 魚ですか? と聞いてみる おばあちゃんはにこにこして なまこを売りよんよ、と氷を敷き詰めたリヤカーから 新聞紙にくるんだそれを取り出してくれる…

水槽

叔父が川で釣ってきた魚を 金魚の水槽に入れておいたら 次の日には金魚が一匹いなくなっていた その次の日にはもう一匹 さらに次の日にはもう一匹 しまいには金魚はすべて消えてしまって うす黒い鱗をぎらぎらさせた 種類のよくわからない魚が 悠々と尾をひ…

夕立

不穏な色をした空に 待ち焦がれていた雷が鳴ると 大急ぎで台所に立って ちぎったレタスにごま油と 塩を振ったものを用意する サラダボウルを抱え 窓の前に陣取り ぽつぽつと落ちてきた雨に もっと土砂降りになれ 空が割れるほどの大雨になれ などとうきうき…

トロイメライ

雨戸を閉めきった家が並ぶ かんかん照りの通りを行く 夏の盛りの昼日中 打ち水のあとも乾き果てた道には 人も車も、猫の一匹もいない 影ですら焼きつくよう こんな時にどこからか トロイメライなんて流れてきたら 少しはいい気分になるかもしれない 雨戸の向…

巴旦杏

女の子が一人で 木陰に立っていて それが朝からずっといるし ここらへんでは見ない子だから なんだか不思議だなあと思う 誰かを待っているのかな それともかくれんぼをしているうちに 家に帰れなくなった子が 生きることも死ぬこともできず 途方に暮れている…

蟻地獄

あなたのおうちの ありじごくを見せてください お手間は取らせませんから 男はそう言って庭に回り しばらくあちらこちらと 何ほどか検討をつけていたが おもむろにしゃがみ込み ほうらこんなところにありますよ なんて嬉しげに言うものだから わたしはなんだ…

えのころ草

雨が降らないうちに えのころ草を採りにきた 町外れの原っぱには風が吹いて 水気を含む空気の中に 無数のえのころが揺れている どれも丸々と太った毛虫のようで 互いに体をこすりつけながら 刈り取られるのを今か今かと待っている 早速、籠から鎌を取り出し…

お手玉

冬に放った雪玉は 楡の木立を弾んで通り 地蔵の額にこつんと当たる なにかと思った地蔵は手を上げ 叩いた手には血を吸った蚊 閉めきった襖は光を遮り 格子はいつもかくかくと白い 赤いお手玉ぽんと投げて 闇夜の空に吸い込まれていく わたしのお手玉 わたし…

ねぎ坊主

百年の間には どれくらいの人が土に還ったのか と誰にともなく問うと 最近は火葬ばかりだから それほど多くはないんじゃないか とおまえが答える 縫い物の手を止めて振り向けば ねぎ坊主がぐらりぐらりと揺れていて まるで月が踊っているように思う

店番

夜のうちに降った雨は 屋根を洗い、軒を濡らして海へ抜けた わたしは誰もいない店で 時折、聞こえてくる犬の声を聞きながら 小僧のように座っている なにもすることがないとは お客が来ないとは 本当にかなしいものである 近所で祭りでもあれば 少しは店も繁…