『川崎洋詩集』
言葉にできないものへの認識があり、それを表現するために様々な方法を試みている点では、谷川俊太郎に近い(ともに「櫂」同人)。ただ川崎洋の場合は人の良さがひしひしと感じられて、たとえば性的なものがモチーフになっても、あまりに朴訥として微笑を誘うほど。繊細でいてあっけらかんとした自然への合一がどこか原始の人を思わせる。解説でも多くの人が詩人の人の良さを語っていて笑ってしまった。
敗戦による価値転倒の中、変わらなかったのは自然の風景だけだったとのことで、言葉を超えた不変のポエジーへの接近が詩を書く原点にある。同時に、そうした言葉ならぬ世界を記述し得ている方言や個人の証言へと接近し、収集を行っている。上滑りする言葉を避けたやさしい語り口も、実感をともなった言葉しか使いたくないということの表れなのだろう。
おれは常套句を愛する
すなわち
<自分の歩幅で>
というやつだ
および腰の知性なぞ
古い運動靴のように打ち捨てて
わっしょい
(「ジョギングの唄」)