金子治夫『日本の銅像』、『金井直詩集』
明治以降、西洋の技術を導入して進められた銅像設置は、政府主導の周辺環境の整備とともに昭和まで続き、銅像の戦時供出でほとんど消滅する。戦後は経済成長を背景に、ただ主題的には軍人像は消えて、擬人化像やキャラクターまで幅は広がってきたという。その時代・場所でどのような人物がイコンと見なされてきたのかがわかって面白い。また、よくよく考えれば風景の中に動かない人物が立っているというのは変なもので、この動かない銅像が夜も昼も動いていく世界を見てきたのだなとぼんやり考えた。
時間の中でいずれ消えていく存在、それでも存在していることの儚さ愛しさを歌う詩。存在していると同時に非在であるという二重の現れがくり返し描かれ、しみじみと胸に迫る。わりと一篇が長くなる傾向があるのだけど、個人的には短くさらりと流しているほうがストレートに良さが感じられた。真率な姿勢がいい。
さくらの花が散る 惜げもなく己れを捨てるすばらしさ
…
そしてまた 落花に酔った者たちが去ったのちも
さいはてにむかって散りつづけているのだ
(「散る日」)