『中桐雅夫詩集』、『渋沢孝輔詩集』
『荒地』の前身となった『LUNA』の詩人。詩人であることに意識的で、その立場から多数者への目線を強く持ち、人間存在を相手取って高らかに糾弾する。
みんな目的と確信をあり余らせているから
おれは行先を考えずにとぼとぼ歩こう
自信のないことがおれの唯一のとりえだ
おれは強いものや激しいものから離れていよう
(「こんな島」)
これは戦争の狂気を通過したからでもあるのだろう。『荒地』などの戦後詩人に共有されている多くのものがこの詩人にはあるように思う。
いま己れ自身によって密かに傷ついている夜がある
傷ついている夜のもう一つの夜への熱烈な暗転がある
(「暗転」)
初期は自身の中にある空虚に言葉を呼び込むことで詩を成立させていたが、次第に空虚は領域を増し、詩人その人さえも飲み込んでしまったかのように思われる。詩人という存在が言葉の前でいかに無力であるか、それを言葉でもって証明するのはある意味では詩人の勝利かもしれない。だが進むにつれて形を崩していく詩にはいささか難儀した。
一時は「言葉はもう狂うよりほかに考えることもない」と書くほどだったが、日本的なモチーフや叙情と合流し、玄妙な宇宙観をともなった詩を展開する。正直言うと、そっちに行ってしまうのかと読みながらはらはらした(石原吉郎のようになるのではと)。が、エッセイの中でも語られているように「晩年」の意識というか枯れた空気とともに、実はこの人のもうひとつの持ち味であるところの伝奇的、ファンタジックな世界がぐっと身近に迫ってくる。言葉の持って回った使い方にはやはり苦労するのだけど、もう少し真剣に向き合えばよかった。