『加藤郁乎詩集』、『三木卓詩集』
シュルレアリスム風でまだかろうじて意味のとれる俳句から、言語破壊的なそれへと変遷していく。といってもどこか斜に構えて軽やかで、遊戯的な香気がある。ずいぶん華やかな交友を持っていたらしく、作品論に並ぶビッグネームには驚いてしまった。
切株やあるくぎんなんぎんのよる
遺書にして艶文、王位継承その他無し
13階の死美人から排卵が届いてゐる
鬼を林間にしてアルトハイデルベルクの祭り
博物館にリヤ王は死んで詩劇の娘ひとり
眺望に老いて高らみやがてわれらはうたとなる
このソノラマの死へいざ桂冠の金枝篇!
…
あれは何番目の男友だちだったか忘れたが背の高いエジプト人みたいな風貌のM君と郁乎は、さしで飲みながら、「おい、きみはいい男だ、いい若者だよ」「マイケル君、ダイナミックにドリンクせよ」と酒をすすめてたことが忘れられない。
(白石かずこ「郁乎という兄貴」)
都市の詩と思って読んでいたらそれだけではないようで、人間は宇宙の塵が凝ってできただけでまた分解と再生を繰り返すというような広い視点から、生死と社会を見つめる。伏流する父と子の関係、そして自身が父となってからの子との関係の主題が、流れの中のひとつでしかない自分というものに説得力を与える。虚無的でもある視点から小さなものへと注ぐ目線が優しい。実際、子供のための仕事も多いようだ。