『井上光晴詩集』、『会田綱雄詩集』
「同志よ」なんて呼びかける左翼詩には最初怯んだが、左翼詩人によくあるように主題が村落や炭鉱といった下層社会に向かう。そこで方言や唄などを詩に取り込み、これが生の言葉だと言わんばかりの飾り気のない無骨でキレた文体が形作られる。小説家でもあるので一場面を切り取って描写するのも巧みで、ただ小説に寄り過ぎるとちょっとなとは思うがいくつかの作品は本当に痺れる。言葉の芸術を追求するみたいなのとは根本的に目指すところが違う気がする。
殺せ、奴を殺せ
情婦の股ぐらに火をつけろ
すると奴は狂いだす
美空ひばりの<悲しい酒>をききながら
奴はいつもベッドで嘗めさせている
奴の情婦を毎晩嘗めさせている
奴がこない夜は犬だ、犬に犬に
殺せ、奴を殺せ
妊娠五ヶ月の情婦はせっせと毎日
ペーパーフラワーのお守りを作っているが
それは鬼薊、鬼薊
(「奴を殺せ」)
賢治のイーハトーヴにも通じる「ピエロタ」という舞台を持ち、そこでは愛嬌のある残酷なメルヘンがくり広げられる。それらを支えているのはどうも詩人の罪とか死の意識のようで、とぼけてはいても酷薄さを併せ持った人物や異形に虚無の気配が看取される。というより虚無が詩人を通じて書かせている感があって、名高い「伝説」のバックボーンを読むとその正体もおぼろげに了解できる。名付けえぬ巨大なものを作品として結晶させていることは本人も自覚していたらしく、自身を詩人だとか、書いているものを詩とは認めていない。この勁さ。