『正津勉詩集』、『禽獣 植村玲子歌集』

 

正津勉詩集 (現代詩文庫)

正津勉詩集 (現代詩文庫)

 

奔放で暴力的で、力がこめられた言葉は吃音混じりの呪文に近づく。助詞の省略が速度を感じさせながら、歌になるように思えてそれを許さない力の集中、やぶれかぶれで底の抜けたユーモアと自嘲がこの詩人の特徴と思う。自己の滅却を望む精神が肉体感覚となって詩にまで伝わっているというか、それがはまった時はとてもいい。端々に見るべき表現がある。

聖家族

 

茶卓に坐わり向うをむいて

煙草舌に(頑張るべく……)

片方の脚を高く靴下捲いてるんが

母さ。そしてそのスリップのうしろ

貧乏ゆすり小さくせわしく

軍帽禿に(頑張るべく……)

その片方畳にぽかんと佇ってるんが

父さ。そしてそのアロハのうしろ

ラッキー・ストライクの夕陽を背に

ヘイー、ヘイー! 大きくなって来るんが

ぼくさ。ぼくと連れ笑って

ざっくざっく来るんがスヌーピーでなく

ポチさ。ポチと連れ笑って

ラードの血のスカートふわり

更に更に(頑張るべく……)

ハロー、ハロー! 甲高くなって来るんが

姉さ。そしてそのオサゲのうしろ

兵隊さんさ。カム! アコシャンそれ早く

母さんジープと笑って送るんさ送ったんさ

皆で頑張って、倖せな倖せな日々を、さ。

 

『禽獣 植村玲子歌集』

寝ねながらおもふ土の穴にざあつと空けられし中野重治の骨

マネキンの二体しづかに倒れたり白昼地震(なゐ)はとほく来たりて

したしたと油漏れつつ駐車するトラックがある炎天のもと

笛吹かぬ太鼓たたかぬちんどんや二人萱原のうねりをぞ行く

煮る酒のおもてゆらりとうす青く炎え上るとき憑きもののゆく

つぎの世へ跳ぶ道すがら思ほえず斑猫は人の目に触れつ

むらさきの寒雷裂けて夜ふかく北の交番炎上したり

他界より続き来たりて眼の前に濡れたる道のゆるく曲れり

後手にドア閉しつつふいに老女医の言ふ「然し此処は嫌なところです」

『佐々木幹郎詩集』

 

佐々木幹郎詩集 (現代詩文庫 第 1期76)

佐々木幹郎詩集 (現代詩文庫 第 1期76)

 

 学生闘争の狂熱からスタートしてひた走る。力がみなぎっていてちょっと圧倒されるが、次第に声は響きを整えて人間の地帯を過ぎていく。「無い言葉 無い炎 無いものの流れるうてなに/意味もなく魅入られて/それがすべてだ」(「流れるうてなに」) 虚無的な目線で世界を眺め、それらを「無い」といってもあとに何か残るものがある。彼方に引き寄せられながら、その何かを歌っていく。

 

続・佐々木幹郎詩集 (現代詩文庫)

続・佐々木幹郎詩集 (現代詩文庫)

 

言葉の響きへの注目、よりダイレクトな言葉の始原へ、名付けえない詩そのものへと接近していく。引用や共作といった手法で他者の声を取り込むなど苦労しているがやはりもどかしく、やがて言葉を超えた世界の実相へと近づく。ついにはヒマラヤにおいて神秘体験を得て、憑き物が落ちたかのように詩は性格を変える。このことについて、解説の加藤典洋の言うようにあまりに詩人的なポーズが鼻につく向きがあるかもしれない。個人的には詩をラディカルに推し進めればこうなると思っているので、むしろヒマラヤ体験以降の詩は好ましかった。 

『荒川洋治詩集』

 

荒川洋治詩集 (現代詩文庫 第 1期75)

荒川洋治詩集 (現代詩文庫 第 1期75)

 

 鋭い方法意識で現代詩なるものを問い直した詩人。技術で書かれる詩はたしかにそれまでの詩とはまったく趣が違うし、何が書かれているのか読み取るのが困難なことも多い。しかしそれは散文では不可能な詩の表現であって、「制度」が切り捨ててきたものでもある。そのことが了解されれば、この詩人の精緻な技術の背後には、自らの弱さの自覚や、葬られたものへのシンパシーが感じられる。臆病さや優しさと言ってもよくて、この詩人のおかげでずいぶんと詩の世界が開けたのだろうと思う。詩も良かったがエッセイが面白かったので今後追ってみたい。

 

続・荒川洋治詩集 (現代詩文庫)

続・荒川洋治詩集 (現代詩文庫)

 

 露悪的だったり品がなかったりというポーズの詩が増えてきて、あいかわらず面白いのかつまらないのかよくわからない。とはいえこの困惑は意図的に作られていて、一定のラインから上にも下にも行かないように厳しく制限されている。その持続する筋力のようなものが見所と思う。傍線を引いてわざわざ自分の詩のすごいところを示すなんてこともしており、たしかに技術的には巧みで、読んでいるとどうしても「詩人のための詩人」とか思ってしまうけど本人は嫌がりそうだ。

『粒来哲蔵詩集』、『諏訪優詩集』

 

粒来哲蔵詩集 (現代詩文庫 第 1期72)

粒来哲蔵詩集 (現代詩文庫 第 1期72)

 

 散文詩の人。晦渋な筆致で別世界の様子を描き、それはカフカ風であったりエッシャーの騙し絵風であったり、あるいは土俗を感じさせる生活誌であったりする。詩人自身は「寓話」と言っているものの寓意は容易に読み解けるわけではなく、道筋のさだかならぬ迷宮を辿るような気分を惹起させるところに眼目があるのかもしれない。解説で粕谷栄市(詩人の従兄弟)が言うように「私」を追求することで特殊な世界に到達しているというのは納得がいくし、その意味で粕谷への影響は大きいのだろう。

 

諏訪優詩集 (現代詩文庫 第 1期73)

諏訪優詩集 (現代詩文庫 第 1期73)

 

初期はモダニズム風のメルヘン、それからビートの洗礼を受けて旅の詩人へ。西脇順三郎芭蕉の抒情と寄り添うように旅に夢を探り、やがて女性との生活を描きはじめる。旅の中で夢を、詩を求めるのがおそらくこの詩人の資質であって、まるで求めるものを手に入れたかのごとく男女の関係に落ち着くのは少し納得がいかない。女言葉も今読むと不自然で恥ずかしい。でも概ねは良い詩を書く人で、旅の中で醸成された寂しさの感覚は胸にしみ入る。流転の抒情。 

『中村稔詩集』

 

中村稔詩集 (現代詩文庫 第 1期71)

中村稔詩集 (現代詩文庫 第 1期71)

 

ソネットを多用して風物に心象を見出すことから、ささやかに高踏的で典雅な印象がある。自分がはじめてこの詩人を知ったのは宮沢賢治の編者としてで、詩業を見渡してみると賢治から影響を受けつつも、生々流転の現実の中で己を客観視して詠嘆に流している。「ああ 私たち旅客/この星のわずかな地表を擦過し/余儀ない旅をひたすら続けゆく者!」(「上野駅にて」)

 

続・中村稔詩集 (現代詩文庫)

続・中村稔詩集 (現代詩文庫)

 

 風物に託して心象を歌うのは一貫しているものの形式はやや崩れがちで、生活や社会のことが現れてくる。自然と己を重ねあわせた位置から人間を眺めるわけで、そこから文明批評的な詩を書かれるとちょっと説教臭い。解説でも「アナクロニスム」とか言われているし、まあアナクロを貫いたのがこの詩人の凄いところなのだろう。

 

『宗左近詩集』

 

宗左近詩集 (現代詩文庫 第 1期70)

宗左近詩集 (現代詩文庫 第 1期70)

 

 『炎える母』は戦時の空襲体験をもとにした極限的な作品。炎の中で見捨ててしまった母への鎮魂と自責の念が、陶酔的で切迫感をともなった言葉で綴られる。書かれている内容の凄まじさに圧倒されつつこの悲惨に美しさを感じる自分もいて、詩というものの恐ろしさを思う。ただ、『炎える母』で表現の底を割ってしまった節があり、以降の詩はどこか壊れたまま題材を変えてのリハビリのように思える。そのいたるところに見え隠れする母の姿。おそらくこの詩人は一生涯、体験から離れられないのだろう。

 

続・宗左近詩集 (現代詩文庫)

続・宗左近詩集 (現代詩文庫)

 

 母や友人の死を己の罪として引き受ける意識は、自己否定に否定を重ねるあまりに詩人を死者として立たせる。死者の目から見られた世界は奇妙に空々しく、たとえ詩の上で性愛や生活のようなものが歌われていても、その全てが虚無に、あるいは虚無である宇宙感覚のようなものに回収される。内容だけでなく表現の上でもそれは顕著で、技巧や修辞は置いてきぼりのままになりふりかまわず書かれているようだ。この振る舞いが奇異に映るとしても、死者の狂いをその身に引き受けなければならなかった一生を思うと胸が詰まる。

『山本道子詩集』、斉藤洋『うらからいらっしゃい』

 

山本道子詩集 (現代詩文庫 第 1期69)

山本道子詩集 (現代詩文庫 第 1期69)

 

 初期は自意識の檻の中で奔放な感受性に振り回され、詩は悲嘆の色に染まるとともにそれを受け入れて、次いで散文へ、最後に小説に辿り着く。閉じこめられた場所を最初は「檻」と認識していたのが「家」に変わり、そこでの生活を記述するには詩では収まらなかったのだろう。詩は小説に移行する直前の作が円熟を感じさせて好きだが小説もなかなかいい。本書に収録されている短篇「老人の鴨」などは面白いのか面白くないのかうだうだと読み進めていくうちになんともいえない嫌な感情を呼び覚ましてくれる。後に芥川賞を受賞。

 

うらからいらっしゃい―七つの怪談 (偕成社ワンダーランド (30))

うらからいらっしゃい―七つの怪談 (偕成社ワンダーランド (30))

 

怪談クラブシリーズの二作目。7人が怪談を持ち寄って披露する趣向で、この怪談の会が催されるシチュエーションが抜群に良い。大学構内にある人気のない研究棟の一室、季節は夏、小学生の主人公が大学生に混じって怪談を聞く、おやつに冷やし中華もある…という夏の暑さ騒々しさの中のエアポケットのような空間。しかもそこに集まって怪談に興じる人々もどうやら普通の存在ではないようで…。それにしてもこのシリーズ、小学生の頃に選定図書を購入できるシステムがあってその時に出会って以来になる。縁があれば次もぜひ読みたい。