『清水哲男詩集』

 

清水哲男詩集 (現代詩文庫 第 1期68)

清水哲男詩集 (現代詩文庫 第 1期68)

 

出発を高らかに歌うような態度ではなくて、年をとることを自ら望むようなひねくれた態度…と読み進めていたら、詩集『スピーチ・バルーン』に度肝を抜かれた。ナンセンスと抒情を融合して戦後詩の重みを振り払った詩集で、これは当時のエポックだったんじゃないだろうか。よく「チャーリー・ブラウン」一篇だけ引かれているけど他のも良かった。吉増剛造を評して「それまでの現代詩の世界を支配していたストイシズムと無縁なところに位置していた」としているが、この詩人もそのようなところがある。

僕らは軽く手をあげるだけで

死ぬまで別れられるのである

 

(「ミッキー・マウス」 

 

続・清水哲男詩集 (現代詩文庫)

続・清水哲男詩集 (現代詩文庫)

 

 生活感情から独白へ、記憶へ、多く身体の感覚を元にして詩が書かれる。名人芸を見るかのように語り口がなめらかで、あまりに巧すぎてちょっと目が滑ってしまったところがないでもない。でもこの語りの運動に身を任せるのもいいと思う。

 

 「スピーチ・バルーン」とは漫画の吹き出しのことで、本書はチャーリー・ブラウン鉄腕アトムといった往年のキャラクターにオマージュを捧げた詩が20篇収録されている。ナンセンスでポップで時代の重さを振り払った…といっても詩自体はまだわりと骨太でもあって、各詩篇に添えられた漫画との相乗効果で見るべきだろう。詩文庫で読んだが手元に置きたくなって買い直した。たたずまいが良くて持ってると気分がいい詩集。

『粕谷栄市詩集』

 

粕谷栄市詩集 (現代詩文庫 第)

粕谷栄市詩集 (現代詩文庫 第)

 

 前に雑誌「詩学」で初めて触れてから折々読んでいたのだけど、ようやくまとまった形で読むことができた。現実では生活の中にしっかりと足場を持ちながらもそれだけでは解消できない何かがある。その何かを求めて半身を闇に浸して片手で手探る運動が、魂の暗部の模様を散文詩の形で伝える。現実を屈折させればさせるほどに闇は濃厚で、この一冊の中でも屈折率の高そうなものほど読んでいて楽しかった。いや本当にこの人は詩を読む愉悦を味あわせてくれる。詩集を集めよう。

自分だけの暗黒の灯を点し、そこで、何かを掘っていると、私は、全ての不安を忘れるのである。敢て、私の労働に係わりなく、それは、私の厖大な資産なのだ。

(「坑道」) 

 

続・粕谷栄市詩集 (現代詩文庫)

続・粕谷栄市詩集 (現代詩文庫)

 

 基本的には生を暗黒のフィルターに通すことで幻想を立ち上げるところで一貫しているが、もはや虚の幻想そのものが膨れ上がって裏側から我々の世界を襲っている感がある。地と図の関係のような世界の二重身は詩人をはるかに越えた邪悪な謎を提示しているようだ。

それらは、おそらく、私だけの鏡だけに映った狂った事実である。だが、他人には、全てが、邪悪な偽りだったとしても、私は、私を生きなければならない。私は、私を、生きなければならないのだ。 

(「破局について」)

目黒区美術館『線の迷宮II-鉛筆と黒鉛の旋律』、ジュール・ヴェルヌ『』

目黒区美術館『線の迷宮II-鉛筆と黒鉛の旋律』

2007年の展覧会図録。鉛筆、シャープペンシル、消しゴムという極めてシンプルな画材を用いる9人の作家が紹介されている。中でも感銘を受けたのは小川百合と篠田教夫の画で、小川は画面の隅が暗くぼやけた中に薄暗く浮かび上がる図書館や階段を、篠田は海辺の景物を細密に描くことで異様な形状の世界を現出させる。闇を凝集して人間の領域の外を描いたような画面がたまらない。

 

地底旅行 (創元SF文庫)

地底旅行 (創元SF文庫)

 

 実際の紀行文や冒険記の延長上にあることを思わせる物語で、世界を分節し把握しようという欲求が、いささか煩瑣なまでの科学的記述に読み取れる。真理への欲求を燃料にして複数のキャラクターをそれぞれの役割のもとに駆動することで幻想に突き進むのがヴェルヌの肝だと思う。個人的にはアイスランド小説として読めるのが嬉しかった。

『吉行理恵詩集』、『啄木のうた』

 

吉行理恵詩集 (現代詩文庫 第 1期65)

吉行理恵詩集 (現代詩文庫 第 1期65)

 

 「国防色の籠の中で/赤ん坊猫のお腹から はらわたがとび出しています」(「圧死」) 静かな狂いを感じさせる幻想が訥々と語られる。この「訥々」というところがポイントで、改行や連の区切り、内容の飛躍が不安を堪えながら言葉を絞り出すような語り口を生んでおり、いつこの精神が崩れてしまうのだろうかと不穏な空気が漂っている。それに加えてですます調が多く用いられているのが狂気を必死に抑えつけているようでもあって、詩はメルヘンの色を帯びる。寡作とのことで収録数は少ないが素晴らしい詩人を見つけた。

 

啄木のうた (若い人の絵本)

啄木のうた (若い人の絵本)

 

 装丁があまりにかっこよいので手に取ったら中身もよかったし、まとめて読んだことのなかった啄木を読むいいきっかけになった。どこにもやりばのない生のもどかしさ、ついに荒涼とした場所に落着せざるを得ない悲哀が、どんどん気持ちを荒ませてくれる。まあたまにはこんなのも、と思いつつぢっと手を見る…。

岡田刀水士『灰白の蛍』、『新川和江詩集』

岡田刀水士『灰白の蛍』

岡田刀水士の遺作。前詩集『幻影哀歌』で到達した幻影の領域をさらに推し進めた詩世界を展開している。ここに描かれているのは死後のもしくは未生の世界であって、現実と同じような論理はほとんど通用せず、叙述は混迷に混迷を極める。正直言うと何が書いてあるのかよくわからないし、これを校正した後に亡くなったと聞いて納得してしまう。それほど現実の領域から離れた詩集でここまで凄まじいものは他に憶えがない。人のなし得る極限的なテキストだと思う。

 

新川和江詩集 (現代詩文庫 第 1期64)

新川和江詩集 (現代詩文庫 第 1期64)

 

 経歴を見ると少女雑誌等に詩を書いていたとあって、そのためなのか読む人をきちんと意識してメッセージが伝わるのを確信している節がある。意を尽くした詩は高水準のものばかりで次から次へと安心して読み進められる。ただしエッセイから読み取るに、裏側にはどこか人生をこざっぱりと見切っているところが窺え、だからこそ表現に徹しているようでもある。仕事をきっちりこなす職人タイプというか、そのペースに乗っている限りはとてもいい。特に子供に呼びかけるものやメルヘン風のものは絶品だ。

 

続・新川和江詩集 (現代詩文庫)

続・新川和江詩集 (現代詩文庫)

 

 根源への共鳴があって、それゆえに『土へのオード』『火へのオード』『水へのオード』という各詩集にあらわれているように世界を成り立たせているものへの注目になり、生と死、神や母といったものへの接近にもなる。代表作とされる「私を束ねないで」を読む限り、それは「詩」でもある名付けえぬ広がりなのだろう。根源的なそれと和して歌われる詩には愛情と残酷の両方が息づいている。

『辻井喬詩集』

 

辻井喬詩集 (現代詩文庫 第 1期63)

辻井喬詩集 (現代詩文庫 第 1期63)

 

流竄者を思わせる孤立の場所から書かれる詩は、観念的な色を帯びながらもたしかな歩みを見せる。具体性を欠いてはいても意志の強さが窺えて、ただ自分などはこれが頑なさに感じられて入り込めなかった。単純に一篇一篇が微妙に長めということもあるし、この持続する意志が言葉を乱れ撃つ方向に進むともうだめだ。この人は立場や経歴が特殊で、読んでいるとどうしてもそれがちらつく。大変だろうなと同情はするのだけど。

 

続・辻井喬詩集 (現代詩文庫)

続・辻井喬詩集 (現代詩文庫)

 

 潰えた闘争と自身の現実の間で板挟みになり、詩の領域で夢を切り拓こうとしたというのがこの詩人だと思っていたが、読み進むにつれて決してそれだけではないところが見えてきた。夢は日本的叙情へと通じ、立ち止まって野の花に目をとどめるにしても、扼殺された抒情をもう一度検討し直す意図がある。また、情報化社会の文化と言葉の問題を詩に呼び込んで、大きなパースペクティブで戦争をも俎上に上げる。こうした驚くほどの視野の広さは疎かにしていいものではない。現在でも最重要の一人ではないだろうか。

 

みやま文庫『群馬の昭和の詩人』、岩佐なを『霊岸』

みやま文庫『群馬の昭和の詩人―人と作品―』

5人の詩人を紹介している。中でも岡田刀水士の人と作品についてを集中的に読んだ。萩原朔太郎に師事し、群馬県内の学校や国鉄に勤めながら同人誌等で活動。この本では詩集『幻影哀歌』を、抵抗意識によって幻影の側に立ち、運命そのものと人間存在の不条理性を告発するものと特に強調している。続く『灰白の蛍』は<死者実存>を拡大させ、それが文明の合理や秩序を破壊してくれると思うまでになるという。思ったより苛烈な人なのかもしれない。

 

霊岸

霊岸

 

 再読して気づいたのだけどドッペルゲンガーらしきものが現れる詩がいくつかある。自分で自分を追いかけるというようなこれは客観性の現れであって、詩人の視点はこの世の外に位置して自身を含めた世界を眺めているのかもしれない。だからこそ普通の人には見えない実相が見えて、それを客観的自己が「良し」とする。版画家でもあることを考え合わせると、一回的に生まれたものに批評眼で相対して、それを活かすか殺すかというテクニックがおそらく詩作にも通じているのではないか。