入沢康夫『詩の構造についての覚え書』、W.G.ゼーバルト『鄙の宿』

 

 詩人と発話者(詩の語り手)は峻別されなければならないというのがこの論の肝で、今詩を書いている人間にはわりと共通している認識だと思う。「詩とは詩人の魂の表出である」式の聞こえのいい言説を退けて、そもそも詩はつくりものなのだと認識してこそ、その詩が成り立っている様を検討できる。そうした苦い認識の上で言葉と関係を取り結ぶのが詩人の仕事ではないだろうか、と言っているわけで、詩の幼年期を終わらせた感さえある。昭和41年に発表というからそろそろ50年が近い。

 

鄙の宿 (ゼーバルト・コレクション)

鄙の宿 (ゼーバルト・コレクション)

 

 「物書きという悪癖」を患い、「驚くべき精妙さをもって人生を回避」した鍾愛の人々を論じるエッセイ。彼らに寄り添うゼーバルトの筆は、まさに書かれている現場に降りて瞬間をとどめようとするかのようにきめ細かい。特にヴァルザーの章ではそれが信仰告白の域に及び、自身の寄って立つ場所をまざまざと伝えてくれる。ただ、それが胸を打つだけに、ゼーバルトその人の早逝が心底悔やまれる。こんな稀有な作家がもうこの世にいないなんて。