岡井隆『詩歌の近代』、『吉行理恵詩集』
詩や短歌や俳句、そのすべてを「詩歌」として包括的に論じる。ただ著者は歌人であって、音数律や写実といったタームを用いた詩の読みはやや瑣末。やはり定形を語るほうに本領が窺えるし、「壇」についてや、重みに対する軽み(ライト・ヴァースや俗謡や狂歌など)については、特に詩の読者である自分には新鮮だった。時代とジャンルを越えて見渡す視野の広さは見習いたい。
日本の詩歌界の日本的風土とは(…)、それは嬉しいほど因習的で、いったん名を成してしまえば永久に詩人であり歌人を通すことができる。「アルコールと麻薬」の中に身をもち崩すことを許さない、ありがたい制度である。
この詩人が多用するリフレインは近代詩の影響を受けてのものなのだろうが、それによってもたらされるのは音楽性であるとともに、ある場所からスタートして同じ場所に戻るという堂々巡りの感覚でもある。そのため、あまり数の多くないモチーフを使うのと相まって、狭い部屋に閉じこめられて強迫的に一人遊びをしているような、叫ぶのを必死にこらえているような詩の世界が生まれる。
電燈をつけ忘れられた暗闇で
新聞紙の
飛行機を折っていたときに
僕は
叫んでしまいました
(「月見草」)