ゼーバルト関連論文

現在ネットで読めるゼーバルト関連論文は以下。研究者の鈴木賢子さんによる論が主になります。Google Scholarの検索に頼っているので他に取りこぼしがあるかも。

ゼーバルト作品においては、イメージはある種の遮蔽物として想起を限界付け、さらに「兆候」を提示して不可視のイメージを指し示す。

 『空襲と文学』における廃墟イメージの使用について。「破壊の博物誌/自然史」の断片を組み合わせてフィクションに加工すること。また、あえて紋切り型を使用すること。

 上の二論を踏まえた上で(とは書いてないけど似た論理を適用して)作品を読み解く。「復元の失敗によって初めて受け継ぐことが可能な記憶がある。例えば生き残った人々がその出来事を言語化できない場合だ」 そのように賭けるようにして表されたのが『アウステルリッツ』ではないかとする。コメンテーターの田中純氏との質疑応答も興味深い。

『土星の環』に頻出する「グリッド」「五点形」の機能を精査し、トルポット(写真黎明期の人物。書物に写真を導入した)との比較からその博物誌・自然史的性格を論じる。『土星の環』を地図を片手に読んだ人であれば、それが縦横の罫線による「網羅的」な現れであるというのはビビッドに理解できる。

アウステルリッツ』にはフリーメーソン的な星のイメージが散りばめられており、それは古代のヘルメス的な記憶術の流れを汲みながら、20世紀の集合的記憶を想起させるサインになっているのではないかという。かなり能動的な読みでこういう風にも読めるのかと目から鱗が落ちた。ただ行き過ぎと感じる向きもありそう。

ゼーバルトのイメージの向こうにある連想の空間を「パタン・ランゲージ」という概念を援用して論じる。古写真のように摩滅し、あやふやであるからこそ独特の光を帯びる。ゼーバルトはそれを博物誌的に記述する。

(『移民たち』が手元にないため未読。申し訳ない…)

それと補足で。