『アール・デコの館』、『神秘の詩の世界―多田不二詩文集』
現在は東京都庭園美術館となっている旧朝香宮邸について、邸が採用しているアール・デコ様式の流れから解説する。明治以来の様式建築の摂取とともにアール・ヌーヴォーの衝撃を受けていた日本は、しかし1925年のアール・デコ博では直接の影響を受けず、ニューヨークを経由して遅まきにアール・デコの表現を得た。ただしこの朝香宮邸だけは例外で、アール・デコ博を見たフランス贔屓の朝香宮夫妻の希望で、本場フランスの手を借りて建てられている。様々な要因が重なって奇跡的に成立した建築らしい。機会があれば行ってみよう。
罪に捕らわれて夜の巷を彷徨い、漂泊者の意識を以って彼方への希求と女性への憧れを重ねて紡がれる詩は、まだ詩が詩人を率直に表現すると無邪気に信じられていた時代を感じさせる。言葉にできない何かを夜の闇の向こうに求めるという姿勢はやはり胸を打つもので、書名にあるような「神秘」はさほど感じないにしても、いくつかの詩はそれに触れ得ていると思う。室生犀星や萩原朔太郎の陰で忘れられた詩人だがもうちょっと読まれていいのでは。
この国の空には月が出ない
この国の人はあの美しい月の光を
死ぬまでも 見ることが出来ないのだ
私はある晩 その国の人間になつてしまつた
私はどんなに慨いたか
私は自分のふとした浅ましい心掛から
さうなつた様に思つて後悔した
その時 ひとりの瘠せた女の子が
私の傍らへやつて来た
その子は 細い小さな手で
私の前に何かを差し出した
能く見ると
其れは泪を貯めた寂しさうな馬の眼であつた
(「夢」)