『清水昶詩集』、『金井美恵子詩集』
不条理で戦闘的な言葉の向こうに見えるのは若いというだけでは片付けられないほどに真っ直ぐな熱情で、60年代の終わりを引きずりながらも真正に響く。暗い環境の中で意思すること詩を書くことが希望であるような、言葉に賭けられた熱量の大きさには圧倒された。詩の終わりが短い行でまとめられることが多く、熱さがかすれて冷えていくような余韻の残し方がいい。
あなたは
雪に燃えて出発する
完璧なしずけさのなか
ひえこむ都市の心臓部その昏い樹林を
息をのんで出発する
どんなに華麗な肉愛のなかでも
どんなに悲惨な夜でも
燃える外套につつまれ
孤独な本能に降りしきる雪に燃え
まぶしい顔をあげて出発する
ただ想起せよ
ときにおれたちは
劣悪な家系の鎖をひきずる
きつい目をした犬であり
アジアの辺境にひっそり巣食う
どぶねずみのようないのちであったりすることを
そこから
ひたすらに出発する
雪の樹林で身ぶるいする夕映えを吸い
肉体の深い淵に向かって
最初にして最後の
出発を決意する
(「初冬に発つ」)
「わからないことがわからない/石を積みあげる毎日/それがゆっくりと崩壊している/花も叫び声をあげながら散ってゆく」(「名前」) 二人称を多用して呼びかけの詩を書いていたのが、いつしかその呼びかけの対象が詩人の中から消えて、というより詩人を追い越して彼方に去って、あとには澄明な独語めいた空間が揺蕩っている。これが老年の詩ならわかるのだけど40歳ほどですでにこうなのだから、氏が常に前に見ていた谷川雁や石原吉郎の抱え持つものがどれだけのものだったのか、察するに余りある。
金井美恵子といえば現在の大作家で、本人も「作家以外のものになる気はなかった」」と書いているが、本書にはその初期の詩業が収められている。奔放な言葉で歌なども取り込む書きぶりは若々しくいかにも才走った様子。名作「ハンプティに語りかける言葉についての思いめぐらし」では言葉の運動に身を任せ、物語への志向と、そして評論からは「書くこと」の始原を目指す後の小説家の片鱗が見て取れる。一種のアイドルだったことも窺えて、閃いた稲妻が詩に与えた衝撃を追体験できる、現代詩文庫の中でも特異な一冊だろう。