『鮎川信夫詩集』
難解な戦後詩を代表するような詩人・鮎川信夫。戦争をまともに引き受け、生き残った者の意義を証明するために詩を書く。荒地からの再出発は「焼け残ったものは焼き払うべきである」というほど苛烈な態度となって自他に及ぶ。言葉と自己の追い込み、あるいはそうした批評精神は読んでいて決して心地良いとは言いがたいが、戦後詩の屋台骨として大きな位置を占めていたことは重要。後悔と自責に満ちた時代の詩を苦く味わう。
戦後詩篇・戦中詩篇・近作詩篇・最初期詩篇の構成で作風の変遷が見渡せる。抒情詩人の性格が色濃かった初期から、戦争を経てそれに囚われた戦後、それから地獄を抱えながらも順当に枯れていく様子がわかる。日和りが見えてきたかなと油断したタイミングで「生活とか歌にちぢこまってしまわぬ/純粋で新鮮な嘘となれ/多くの国人と語って同時に/言葉なき存在となれ」(「詩法」)といった透徹した自己否定が現れるから油断ならない。
「きみの花柄のパンティを脱がせるためだったら/……詩なんかいつだってすてられるさ」(「ミューズに」) ずるずると生を重ねてしまった老年の詩には自嘲が強く感じられる。それは批評精神からのものであって、ただし対象が自分自身となれば、衰えたものが衰えゆく現在を歌うというペーソスが前に出てくる。一時代を死に損なった詩人のドキュメントとしては得がたいものである。
「きみが詩を」ではなく
詩がきみを
こんなにも早く終えたことを悲しむ
(「詩がきみを」)