自作評

短歌「ぺちゃんこ猫」

ユーモアのセンスがないねあなたには ぺちゃんこ猫に怒られる朝

猫の轢死体を「ぺちゃんこ猫」と言い換えて、それが自身の死をユーモアとして笑い飛ばす趣向。特にどうということはないが日常的な悲惨を笑う道化的な振る舞いは重要。

 

部品

ごく軽い肩慣らし。欠如それ自体を受け身で別の有り様にした。

 

人さらい

某詩人の詩を集中的に読んでおり、書法も取り入れた。そのためか、自身を「人さらい」と認識して、さらったものを作物に変えるという、主題の上では酷い作にはからずもなった。ただ、そこまで読まなければディテールに若干光るところがある。「人さらいの口から人さらいの牙がにゅうっと伸びてきて」「葡萄の彫りのある鏡」「子供やおんなの骨」

 

お供え

一行目で異界への移行を提示。寝起きの視覚を奪われた状態で異常な触感を得、触れたものが「耳」だったということで聴覚の欠如も示唆する。五感のうちのかなりを奪われた状況下での特異な体験。主体が無防備なところをどうにでもできる別の目が見ているという危機感混じりの不気味さがよく出たと思う。この詩を書いている時、彼方への憧れを詩の上で実現するという目的意識が生まれた。別の世界にうごめく別の存在に「巨大な猫」のキャラクターを与えて具体化したのはおそらく大きな意味を持つ。

 

赤信号

前作の慢心が出た。世間の流れについていけない主体が矮小な自己を憐れむ。「のに」「のに」と理由付けする様は滑稽で、全体的に引っかかるものがない。赤信号の鮮烈さと事故のイメージの挿入がわずかに不吉さを付与するが微々たるもので、「世間は止まらない」とする描写も不自然。これは採らない。また、フォーラムで他の人と主題が被り、無意識の盗作の可能性にやや不安になった。

 

おばけやしき

小説の構成を取り入れた。岡本綺堂作品に頻出するもので、事件Aが原因Bの判明で解決するが、その後さらなる情報Cが出てすべてがあやふやになる。本作ではさらに枠物語を採用して結末にもうひとつオチをつけた。この試みが成功しているかはともかく、情報の提示の仕方にはもっと気を払わなければならない。ついでに「語り」の効果も考慮するか?

 

うで

食という日常カテゴリーに侵入した異常事態。米/腕(死体)の対比が肝で、異常事態そのものを当然のこととして受け入れる態度(死体をも「漬物」という食のカテゴリーに迎えるような)が基調をなす。異常を日常とする態度が、結末ではしっぺ返しを食う。このしっぺ返しは「先祖」の行いに対する復讐とも考えられるし、あるいは死体は死体として扱ってもらいたかったのかもしれない。些細なところでは「計量カップ」は自分の詩の語彙になかった。構成は決まりすぎた? なお、後半部に過去作「ここに眠る」の揺曳を見てもよい。

 

葬式

「うで」の異常な日常パターンを踏襲。ここでは死と生の境界線を意識して、そのむこうに主体を置いて境界を撹拌した。ゆえに読経も逆の意味合いを持って「楽しげ」に聞こえる。「おまえもやっとこっちに来たなあ」という言葉は集まった人々も死者であることを匂わせるがわかりにくかったかもしれない。「おばけやしき」「うで」と鋭い結末が続いたのでこの詩では鈍く着地したが、通して見るとインパクトに欠ける。主題が先走った作品といえる。

 

もやしヶ原

箸休めにひょろひょろと気が抜けたもやしで前作までの相対化を試みた。日常への異常の侵犯、さらに境界線(カーテン、窓)を越えて狂気へと移行する。「病めるは昼の月」は山村暮鳥で、「いちめんのなのはな」のイメージを「いちめんのもやし」に重ねた。不眠という昼と夜のカテゴリーの喪失が、結果的に「昼の月」の狂気とつながった。ただし寝てなくて幻を見るだけの詩で、「葬式」と同じくインパクトに欠けるか。

 

10~15行のこの形式は非常に書きやすく自分の性格にも合っていると思うが、どうしても枠は狭いので構成が重要になる。漠とした思いつきが到来しても結末を用意してから書いたほうがいい。主題のほうでいえば、「境界」を意識してその周辺を書くのが当面の取り組み。本当の彼方を書いて個人言語に陥っては誰にも伝わらない。常に相対化して、覚めた目を保つこと。