中井久夫『徴候・記憶・外傷』、内田百閒『東京日記』

徴候・記憶・外傷

徴候・記憶・外傷

思いのほか専門的で難儀した。ゆるやかに関連しながらもいくつかのテーマに分かれているので、その時々に合った部分を読むのがいいのだろう。特に「世界における索引と徴候」は記号論的な世界を押し広げる思考方法で、今回読んで大きく示唆を受けた。マドレーヌ菓子からひとつの世界がひらける、そのようにして索引の世界はさらなる奥行きを持って揺曳している。あるいは「積読」は索引を所持して徴候を読み取ることである…というのは言い訳だけど、なかなか使いでのある考え方です。

東京日記 他六篇 (岩波文庫)

東京日記 他六篇 (岩波文庫)

幻想文学とは特異な出来事やストーリーテリングを必ずしも必要とするものではなくて、ただ常ならぬ雰囲気や情緒があればこれを是とするものである。では何がその雰囲気を支えるかといえば、細部への徹底的なこだわり、特異なレンズを通して眺められる日常そのものにほかならない。何の変哲もない風景は普段見過ごされてしまうからこそ、立ち止まって顕微鏡のような目で眺めれば異様さが際立つ。しかもそれをいくつも積み重ねれば、風景の中になにか異様な因果が働いているようにも思える。百閒先生の作品にはそうした不分明の幻想が立ち込めている。

「身の廻りに起こっている事に後先のつながりがなく、辺りの様子も取り止めがなくて、つかまり所のない様な気持の中に、しんしんと夜が更けていると云う一事だけが、はっきり解った」