『谷川俊太郎詩集』

 サイトのほうに今までの感想をまとめました。

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谷川俊太郎詩集 (現代詩文庫 第 1期27)

谷川俊太郎詩集 (現代詩文庫 第 1期27)

 

 世界を感受し一体化するまでになった詩人だが、言葉は決して世界には届かない。一度言葉の限界を了解してしまえば、言葉で書かれたものはすべて、世界を描きながらも世界と隔たった虚構として受け入れざるをえず、詩人は真実をではなく嘘を表現していくことになる。そのようにして深い断念の下、言葉でもって生を詩化する。谷川俊太郎がすごいのはそれを生活の上で実践したところで、詩では食っていけない詩人の生活を詩で成り立たせようとするのがとてつもない。というか無理なんだけど、この無理を通す姿勢に、言葉を世界に届かせる意思を見る。

 

続・谷川俊太郎詩集 (現代詩文庫)

続・谷川俊太郎詩集 (現代詩文庫)

 

 『定義』『夜中に台所で…』とスタイルの違う二冊を同時に進めていたことに驚いた。前者は方法的な実践を、後者はもっとプライベートな自分を晒した詩集。思うに、谷川俊太郎は世界を愛しすぎるほどに愛しているけれども、存在している自己に、その言葉でしかないありさまにうんざりしている。言葉なんて放り捨ててもっと世界と一体になりたいと考えているのにできないジレンマをひしひしと感じる。職業病と言えば言えるけど、そんなジレンマを作品に昇華してちゃっかり生活しているあたりがこの詩人のしたたかなところだ。

 

続続・谷川俊太郎詩集 (現代詩文庫)

続続・谷川俊太郎詩集 (現代詩文庫)

 

 谷川俊太郎の基本姿勢を理解してしまえばこの詩人がいかに詩人でないかという部分に目が行くようになる。心から湧き出るものはない、だから詩を突き放して、ある種のエンジニアのように言葉を扱うとして、方法的な面がぐっと魅力を増す。もちろんそれも詩人の所作と一括りにはできるのだけど、最初から詩人の位置に収まろうという気はなくて、もっと別のものに仕えてたまたま言葉を道具にしているだけで、世間から詩人とみなされている。というかわざわざ詩を求めなくても元より世界は詩だという認識の、スケールの大きな贋詩人。

この世には詩しかないというおそろしいことにぼくは気づいた。この世のありとあらゆることはすべて詩だ、言葉というものが生まれた瞬間からそれは動かすことのできぬ事実だった。詩から逃れようとしてみんなどんなにじたばたしたことか。だがそれは無理な相談だった。なんて残酷な話だろう。

 

(「小母さん日記」)