『大岡信詩集』

 

大岡信詩集 (現代詩文庫 第 1期24)

大岡信詩集 (現代詩文庫 第 1期24)

 

 「明日おれは鮫であるかもしれないのだ。/だが明日おれは風であるかもしれないのだ。/旗であるかもしれないのだ。」(「Présence」) 出発を告げる詩が若々しい。外界の感受の姿勢が明瞭で、時に自己に批判を加えたり再検討したりと、批評によって立つ基本的な姿勢が形作られていく。また、音の感覚やシュルレアルな変形もある。名作「地名論」にしたって地名の語感から受け取ったものを詩にしているのだ。おお、それみよ。

 

続・大岡信詩集 (現代詩文庫)

続・大岡信詩集 (現代詩文庫)

 

 詩を意識の深部に測鉛として垂らす試みによって詩の機能が確かめられる。ここで出来た詩は本人も書いているように普通の意味の詩ではなく、認識行為に偏った詩だが、ブレイクスルーになったのは間違いない。以降、同じように古典の情緒を対象とし、それと和して歌っていく。これは批評による創作と言ってもいい。詩を掴んだ詩人が亡友や谷川俊太郎を相手に歌う詩は格別だった。「信・アンドロメーダ 見ーえた?/俊・あんたのめだま 見ーえた!」(「初秋午前五時白い器の前にたたずみ谷川俊太郎を思つてうたふ述懐の唄」)

 

続続・大岡信詩集 (現代詩文庫)

続続・大岡信詩集 (現代詩文庫)

 

 二行一段落を並べた詩など、短いユニットを重ねていく詩は独特のリズムが生じている。しかしながら文字通り細切れなので全体的な像を結びにくいし、読み終えて後を引かない。これは詩人が目指すところの「透明な詩」の実現なのだろう。また、詩人が唱える「うたげと孤心」は、日本文化が混成文化であることの意識と、同質性に染まらない孤心、その二つの間でこそ発展があるという至極真っ当なことを言っている。詩にしても詩論にしても、穿った見方をすれば、戦争世代なので全体性に抵抗するところがあるのだろうなと。