紀田順一郎『乱歩彷徨』、多木浩二『眼の隠喩』

 

乱歩彷徨―なぜ読み継がれるのか

乱歩彷徨―なぜ読み継がれるのか

 

 理想と現実の間で苦悩した乱歩の軌跡を丹念に検討していく。全集の自作解説などを見てもわかるが、乱歩本人は探偵小説の完成度を追いたかったものの、世間からはエログロを求められ、幾度ものスランプと戦争による検閲を挟んで、現実の生活人として妥協の途を辿る。目が肥えているばかりに自作を許せないという「眼高手低」の心理、探偵小説と文学の理想的な融合を夢見るなど、乱歩がより身近に感じられる。怪奇幻想の作を海外のものと比較して同じもの、つまり「怪談」と見なしていたというのはなかなか興味深い。

 

眼の隠喩―視線の現象学 (1982年)

眼の隠喩―視線の現象学 (1982年)

 

 風景や歴史を見渡してその構成要素や意味を読み取るのはいいとして、それらを見ている"まなざし"はどのようなものかと手に取った本。まなざしは世界を画し解釈し、意味を与えるとともに自身を意味付ける。社会も文化もまなざし抜きでは考えられず、まなざしが作り上げたテクストを読み解くことで、過去のまなざしを再構築できる。表象、物や空間への記号論・現象学的なアプローチを経て見えてくるのは、やはり人間そのもの。単にこういう見方があったのかという点だけでもぐいぐい読ませる。しばらくこの著者のまなざしを追ってみたい。