辻原登『闇の奥』、山田登世子『リゾート世紀末』
小人伝説を追ってボルネオの奥地に消えた民族学者の行方を捜し、熊野、ボルネオ、チベットと、めくるめく冒険行がくり広げられる。虚実のあわいを行くというか、それは正気と狂気の境を行き来すると言っていいのかもしれないが、語り手の不安定さを逆手に取って読者を混迷の彼方…"闇の奥"へと導く手際が、あまりに見事。そこには失われた種族と神話がまだ生きており、死者と生者のあいだにはっきりとした区別もない。そこからすべてが生れ出で、生まれ出た者は、懐かしさをもって憧憬するのだ。
一九世紀末フランスのリゾート周辺のトピックを同時代の文学から読み解く。「水の旅」をひとつのキーワードに、行楽・衛生学・電気・帝国主義など多岐に渡るテーマを追う中で見えてくるのは、パリを中心としたフランスのトポス、その「虚」の舞台性である。見る/見られる関係性のドラマを演じるために、人々は海浜に集い、温泉地に出かけ、あるいは視線の帝国主義をして植民地を収奪せしめ、衛生観念や技術の発達を進めた。ややとっ散らかった印象だが様々なテーマに触れられて面白かった。