『北村太郎詩集』、岡田刀水士『谷間』

 

北村太郎詩集 (現代詩文庫 第 1期61)

北村太郎詩集 (現代詩文庫 第 1期61)

 

 「なぜ人類のために、/なぜ人類の惨めさと卑しさのために、/私は貧しい部屋に閉じこもっていられないのか。」(「センチメンタル・ジャーニー」) 「荒地」の詩人。基調として人生への諦観のごときものがあって、だからこそ饒舌に流れている節がある。時に崩れがちな独白口調、俳句的叙情への接近などは、詩人の感じていたもどかしさとそこからの解放を求める心を思わせる。詩壇時評、音楽や文学や風物に関する文章を読むにつけ、どうしても黙っていられない人なのだなと。

冬の寂しい町

消防自動車のサイレンが鳴る

だれもぐっすり眠っている時なのに

 

だれもぐっすり眠っている時なのに

魂の町を駆けてゆく人がいる

けれど もちろん

町はずれまでいっても 火事はない

 

(「小詩集」) 

 

続・北村太郎詩集 (現代詩文庫)

続・北村太郎詩集 (現代詩文庫)

 

 あまりに濃密な死の意識を持ち、感覚の世界へと身を潜めることは救いだったのか、それともそれが死を先取ることだったのか。力みが抜けて独白というよりぼやきのようになった詩には、自然への感応と老年の心境が澄んだ詩情となって充満している。このぼやく文体に既視感があると思えば同じ「荒地」の田村隆一で、詳しくは書かれていないがまあなんやかんや終生関わりがあったらしい。ともあれ、老年においてここまで透徹した境地に至ったのは素直に胸を打つ。だめなところも目につくのにそれがとても自然体で。

 

岡田刀水士詩集『谷間』

昭和25年発行。詩集『幻影哀歌』があまりに物凄いので遡って求めた。萩原朔太郎の高弟ということで、師に通じる幻想的でメランコリーに彩られた作風。詩人は身近な人の死を経験して遙かなる世界に思いを馳せるようになったらしく、それは後に続いているとはいえ、この頃はまだしも現実的な書き方をしている。ただ、後記ではその点に不満がある旨が述べられており、より「質感的」な深化を予告している。時代的な不安もあるだろうがまず何より経験の衝撃と悲哀の色が濃い。

星ぞらなのに雨の落ちてくる夜

私には遠いところを急いでいるあなたがわかる。

そのときあなたは樹木になつて姿をかくす。

 

(「時間」)