『萩原朔太郎写真作品 のすたるぢや』、中野純『庶民に愛された地獄信仰の謎』

 

 朔太郎が写真を、特に同じ風景を微妙にずらして二枚並べた3D写真(ステレオスコープ写真)を好んで撮っていたとは知らなかった。その立体視の中に自身の心中にもある「ノスタルジア」を見出し、時に覗いて楽しんでいたという。普通の写真では駄目だったというのがポイントだろうか。「後景が一層遠く後退し、長い時間の持続している夢の中で、不動に静寂しているように思われるのである。」「僕の心のノスタルジアは、第三次元の空間からのみ、幻想的に構成されるからである。」

 

 地獄信仰の中でも特に奪衣婆にスポットを当て、各地の寺院を巡って自由に想像を働かせている。生と死を司り罪を量る境界の神、そこに地母神的な性格を読み取り、様々な個性がアバウトに習合されて現在に至るのではないかと考察する。サブタイトルの小野小町に関しては、地獄に通ったという小野篁の繋がりから、あるいは九相図などを通して無常観についても。いささかノリが軽くて深いところには入っていかないけど、地獄を遊ぶ楽しさは伝わってきます。