『吉野弘詩集』

 

吉野弘詩集 (現代詩文庫 第 1期12)

吉野弘詩集 (現代詩文庫 第 1期12)

 

 以前はあざとく感じられて苦手だったが今読んだらとても良かった。まず虚無の認識があって、それに抗う形で生が、社会が営まれているというところにこの人の詩はある。名作「I was born」のように死を前提にした生の慄き、または死への接近が、社会を成り立たせている矛盾にも向けられる。そうやって掬い上げられるものは虚ろで哀しいが生きることそのものである。あざとさはどうしようもなくあるのだけど、それを帳消しにするほどにこの人の眼は鋭い。一転して好きな詩人になった。

僕は詩を認識だと思うんだ。詩に限らず、芸術は、事物を人間の意識の中にもたらすための一種の言語と思うわけだ。感動というのは、謂わばそれの端緒だ、感動の未発展の曇った状態から確実と明晰との段階に高めるための作業が即ち認識だ。 

そうだ、僕が、芸術の領域で、ひとつの思想、態度に期待するのは、その思想、態度が、どれだけわれわれの認識を拡張してくれるか、どれだけ認識に新しいものをもたらしてくれるかということであって、思想そのものの解説ではないんだ。或るひとつの思想が、従来見落していたものを、新しい次元で掬いあげるということが素晴らしいわけだ。そしてその作業が、どこまでも詩人自身の経験に即して展開される限りに於いてだね。 

 

続・吉野弘詩集 (現代詩文庫)

続・吉野弘詩集 (現代詩文庫)

 

 「ひとは皆、同じ生き方をしている。/ただよう雪のように/落下しているのに飛翔していると信じて。」(「雪のように」) 生死の間に存在するフラジャイルなものに注ぐ視線。それがこの詩人の持ち味であって、時事や文字自体に着目した詩など、意欲的に題材の幅を広げようとしているのがわかる。あまり出来のよくないものも増えるが、憎めない人柄を感じさせつつ、やはりどこかに必ず死の暗さを前提としているところがいい。

稀れに、釣針を逃れて水中に帰った魚が

赤い糸のようなものを

口からしたたらせているのを

他の魚たちは明るい眼で

ふしぎそうに眺めるだけ

 

(「魚を釣りながら思ったこと」 )

 

続続・吉野弘詩集 (現代詩文庫)

続続・吉野弘詩集 (現代詩文庫)

 

 お、老いてる。存在への頌歌という部分では変わらないにしても、もはや生きてるだけで丸儲け的に事物の手触りを楽しむような詩ばかりになる。漢字を分解したり古語や他言語を引き合いに出すのは本人は楽しいのだろうが、読まされるほうはなんとも微妙な気分。しかしこうして詩を遊ぶ境地に達したことを読者は喜ぶべきなのかもしれないな。